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日本横断 自転車の旅

中学2年の夏休みに一泊二日琵琶湖一周の旅を果たし、縦断は無理にしても いつかは日本を横断してやろうと、お馬鹿な野望を抱いて高校時代もせっせと自転車通学に励んでおりました。

経験者なら判ると思いますが自転車走行は風圧との戦いです。誰かが前を走ってくれれば、後ろの者が受ける風圧は激減し楽に走行できます。(スリップストリームを使うとかドラフティングとか呼ぶようです)

複数で長距離走行をした場合、トップを定期的に交代する事で体力の回復と走行スピードの維持ができるので、単独では考えられない様な旅が可能になるんです。

そんな訳でこのお馬鹿な野望に参加してくれるパートナーをずっと探していた高校時代でした。しかしながらそんな物好きはとうとう見つからず卒業、就職となり、そんな野望はすっかり頭から消し飛んでいました。

ところが就職してしばらく経った頃、隣の部所に同期で入った久野君がやっぱり同じような自転車小僧である事が判明したのです。彼もまた学生時代、名古屋の実家からよく養老山脈や関ヶ原に出かけていたそうで、直ぐに意気投合したのは言うまでもありません。

こうなると話は早い、いつ決行か?就職していきなり事故でも起こすとマズイので、10月あたりが気候もよく好機かな?ということになりました。

 

社会人一年生の10月中旬、遂に夢の旅に出かける時がやってきました。

前日、久野の実家にお世話になり深夜に出発です。

彼の家から1時間ほど走って名古屋港に到着、太平洋の水を触って午前3:30出発です!

目指すは福井県の敦賀港!行くぞぉ!

朝焼けの木曽三川を通過、養老山脈に沿って関ヶ原を目指します。

いよいよ関ヶ原の登りです、ここまでは二人とも経験済み、難なく峠を越えました。

伊吹農道を駆け下り、近江平野に出たとたん強い西風に難儀します。

それまでトップ交代が30分ペースだったけれど、それではとても持ちません、15分、10分、5分と交代が頻繁になりますが、これは仕方ありません、苦も楽も分かち合うのがパートナーです。

やっと高月の高時川に掛かる橋を渡り 11:00

ここで、久野の左足が攣ってしまいました。

靴を脱がせ、10分、20分とゆっくりマッサージを繰り返しますが、痙攣してカチカチになった久野の足はなかなか直りません。

「すまん、こんなところで足が攣るなんて、俺のせいでこの旅がダメになったら面目ない」

久野は痛さ半分、面目無さ半分、半泣きです。

「何言ってるんだ、今回がダメでもチャンスはまだいくらでもあるじゃん、そんな事より今回リタイヤするにしたって帰らなくちゃならないんだから、この足をなんとかしなきゃなぁ」

その後も黙々とマッサージを続けなんとか久野の足は回復しました。11:50であった。

いきなり走ったらまた攣る、遅れを取り戻そうとする久野を制し、最寄の食堂に飛び込んで昼飯がてら1時間休憩した。

僕はもう今回は中止しても良いと思っていたが、久野が行くと言うので続行する事になった。

国道8号に出ると向かい風がきついが、トップを交代するわけには行かない。

歯を喰いしばって木之本からの長い登りを走りきる。

日本海に向かって下りになると久野がトップに出てくれた。

下りだってスリップストリームが使えれば楽なんです。

「ここまで来たら、もう日本海はもらったナ!」

「うん、なんとか日暮れに間に合いそうじゃん!」

昼間の痙攣が嘘のように久野は元気になった、明日の復路も大丈夫そうだ。

敦賀市内に入ると見通しが利かないのに爆走するものだから、海岸に出る道を何度か間違えた。

 

気比の松原が見えた! 

17:40 日本海の水に手を浸す。

久野と二人で海に向かって万歳三唱!

 

延々と伸びる黒松の海岸に穏やかに寄せては返す波、潮の香り。

波の音に満たされながら、朝、太平洋を触り 今、日本海を触った手のひらをもう一度眺めた。

 


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