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『ひかりごけ』 武田泰淳著 [最近読んだ本]

『ひかりごけ』 武田泰淳著


ひかりごけ (新潮文庫)

ひかりごけ (新潮文庫)

  • 作者: 武田 泰淳
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1992/04
  • メディア: 文庫



人肉食事件をモチーフにした小説なので、その類が苦手な方は読まないほうがよい。

まずこの小説がどこまでが事実で、どこからが著者の意図的な文章なのかを識別するためこの事件について参考文献を読んだ。

それに類似した海外での遭難事件も参考にした。

本文を読む限り、人肉を口にした者は首の後ろに”ひかりごけ”の様な光の輪が灯るシーンが沢山出てくるが、その言い伝えを知っていたのは、死後船長の食糧となった八蔵一人であり、実際に光の輪を見たのは臨終間際の八蔵一人、ということになっている。
著者はそう前置きしていながら、裁判の最中、被告(船長)が検事に「首の後ろの光の輪が見えないのか?」と質問、検事は「そんなものは見えない」と答える。やがて、その光の輪を見ようとした検事、弁護人、裁判官、傍聴人の首の後ろにも光の輪が灯るが、お互い誰も光の輪など見えないと言って、この小説は終わる。

光輪というと一般的には仏教でいう覚者(仏)を意味すると思うのだが、文中でいう光の輪とは生への執着の証と解釈すればいいのか?罪の証と考えるべきなのか?特殊な状況下では罪が罪でなくなる気もするのだが・・・この小説の解釈は難しい。
小生を含め殆どの現代人は食に困った経験無く生きている。その隣にこの船長がひょっこり現れて「俺は仲間の死体を食った悪い人間だ」と告白されたらどうだろう?やっぱりきみが悪いのではなかろうか?「それは特殊状況下の出来事であったから仕方が無いのだ、もう忘れて我々と同じように隣人として生きていこうではないか」と言ってあげる事ができるだろうか?口ではそう言えても、心の隅には彼は・・・というある種の偏見は絶えようが無いのでは?と思う。

また、万一小生が、この事件やアンデスの事件の様な遭難にあったとしても、主人公達のような精神力と行動力は無いように思う。




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