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黒猫の予知

「黒猫の予知」

小生が結婚した当時、かみさんの実家にクー子という黒猫が居た。たまに義母の膝元を離れこちらに来たかと思うと、すいと背中をすり抜け部屋を一周してまた義母の膝に戻る。この猫はなかなか気難しく、新参者の小生にはなかなか懐かなかった。

かみさんの実家は川のすぐ近くで鮎釣りのシーズンにはとても有り難い場所にあった。前の晩に泊めてもらい、朝起きると池に生かしてある囮鮎を船に入れ、竿を担いで200mほど歩けばもう川に出て釣りが始められるのだ。頃合を計って船を川柳に繋ぎ、空身で朝飯、昼飯に帰る事も出来る。
川や鮎の臭いをぷんぷんさせて帰ると、クー子が不思議そうな顔をして小生の周りをくるりと一周した。やっと警戒心がほぐれたか?と思い、撫でようとしたら引っ掻かれた。

普段義母は勤め先近くの借家に住み、実家には週末帰る程度であった。義父はとうに亡くなり子供らは各々独立して行ったので、川近くの実家は普段空き家だった。夏季は兄弟家族らが入れ替わり立ち代り釣りやバーベキューに来るので案外賑わうが、それ以外の季節は寂しい家となる。
そんな家を年中見ているのはくー子だけであり、この黒猫が実家の守り主と思えた。
縁の下にキャットフードが置いてあるとはいえ、一年の大半は単独で暮らす猫である。半ば野生なのだから、よそ者には簡単に心を許す筈が無い。動物好きの小生はなんとか仲良くなれないものかしら?と、ねこじゃらしを使ってみたりしたが、そんな子供だましは通用しない強かさと気位をこの猫は持っていた。
義母と小生らの都合が合わなかったりすると、小生らだけで泊まる事もあった。こんな時は縁の下に置いてあるキャットフードを食べに戻ったくー子が、気が向くとかみさんの膝でごろごろする事はあったが、それも長い時間は続かず、やっぱり小生の処には寄り付かないまま何処かにふいと出かけてしまう事が常であった。

ある年、この実家を改築することになった。丁度鮎のシーズンと改築工事が重なった。
屋根以外は一旦骨組みまでに剥がし内装し直す大規模な改装であった。
壁や床は骨組みとなり内と外の区別が無い、無論トイレや風呂も使えない。
かみさんはそんな処には泊まれないと言って同行しなかったが、小生はそんな不便さを差し引いても此処を基地としてそのシーズンも釣りをやりたかった。
夕方、大工さんが帰ると外の釜戸で夕飯を支度し、暮れ行く空を眺めながら夕飯を食べた。
それが済むと、骨組みのままの床にベニヤを敷き、縁の下に落っこちない程度の寝床を作る。
土の香りを吸い、外の冷気を感じながら夜空の星や月、時には蛍を眺める。
風向きが変わり、ふいに瀬音が遠のき眠りに落ちる。
この上なく贅沢な時間に感じられた。

不思議なことに、こういう時間にくー子がキャットフードを食べに戻った事は無く、夜中に物音で起こされた事も無かった。

小生は釣りはやるが、釣った獲物をその場で食べる事は滅多にしなかった。釣りをやった手というものは、しばらく獲物の臭いが移っている。殺生の罪悪感が食欲を削ぐのかどうかは判らなかったが、とにかく直ぐに食べる気にはならない、釣りをやった直後の飯というとラーメンか蕎麦、カレーがお決まりだった。

シーズン半ばのある日、この日はどういう訳か釣から戻ると、鮎の塩焼きを食べたいと思った。
大工さんが帰った後、外の釜戸で2匹の鮎を焼いて食べた。
食べ終わった頃、くー子が姿を現した。
鮎の頭と骨を放ってやると、クー子は旨そうに音を立てて食べた。
少しは恩に着るのかと思ったら、食べ終わったくー子はさっさと何処かに行ってしまった。
なんとも気難しい猫である。

鮎釣りといえど自然相手のことだから、船一杯にして帰ってくることもあれば、徹底的に川がそっぽを向いてしまい、弱った囮鮎を放流しボウズで帰ってくることもあった。猫に食わせてやる為にさかな釣りをする訳では無いが、アタリを待っている間、旨そうに鮎の頭を食べるくー子の姿が浮かんでくる事があった。

この年の何回目かの釣りで40匹余りを釣った日があった。
至福の思いで川から上がり帰路に就いた。あの曲がり角を過ぎれば50mほどで実家に着くという処まで来て、曲がり角にぽつんと座っている黒猫が目に入った。
くー子である。
あの気難しがり屋が迎えに来たのであろうか?小生は歩調を変えずにどんどん近づいて行くが、くー子は寄ってくる訳でも無く、最初に目にした姿勢のままでこちらを眺めているだけである。
「くー子、迎えに来たのか?」
そう声をかけると、くー子はにゃーとも言わず黙って小生の後ろに付いてきた。
実家に着くと、クーラーボックスに鮎を移した。くー子は少し離れた処で小生の作業をじっと見ていた。
ビリ鮎といって囮にもならなかった小さな鮎の事を思い出した。いつもはビリが釣れると川に戻すのだが、このビリは針の掛かり処が悪く即死したので仕方なく持って来たのだった。
クーラーボックスからビリ鮎を探し出し、ぽいとくー子の前に放ってやった。
くー子は旨そうにコリコリと音を立ててビリ鮎を食べた。
なんで小生が帰ってくるのが判ったのだろう?それとも何時間もあそこで待っていたのだろうか?
そんな事を考えていると、くー子は鮎を食べ終え、また何処かに行ってしまった。

翌週も釣りにお邪魔した。
お昼頃、船を川に浸け空身で実家に向かった。
くー子はまたお迎えに出ているかしらん?と曲がり角に目をやるが、それらしき姿は無い。
昼飯を食べている間もくー子は来なかった。

この日の午後も調子が良く、暗くなるまで釣った。
心地良い重みを感じながら実家に向かうと、曲がり角にくー子が先週と同じ姿勢で座っていた。
「今日もお迎えか、大漁だったぞ」
「・・・」
先週と同じ様に、にゃーとも言わず、くー子は小生の後を付いてきた。
今日はビリ鮎は無かったので、小ぶりの鮎を一匹ぽいとくー子の前に投げてやった。
くー子は旨そうに鮎を食べると、また何処かに行ってしまった。

この翌週は川の状況が芳しくなさそうであったが、釣りに出かけた。
思った通り、どうやっても鮎は釣れない。
昼飯抜きで夕方まで粘ったが、さっぱりダメであった。
くー子に合わせる顔が無いわな。
空の船をブラブラさせながら、曲がり角に目をやった。
待っている筈の黒猫の姿は無かった。
帰り支度を済ませ車に乗り込んでもくー子の姿は無かった。
くー子には今日釣れない事が判っていたのか?
くー子の姿を見ないまま、この年の鮎釣りが終わった。



翌年も鮎のシーズンになると、かみさんの実家に通った。
初釣りは改築が終わったので一家でお邪魔した。
「初鮎を食わせてやるから、外の釜戸に火を起こしておいてくれ」と大見得を切って出かけた。
時間と匹数を設定した通り自然相手に実行するのは博打に近かったが、この日は川がそれを許した様子だった。お昼前、一人あたりぴったり2匹わたるよう鮎を釣り上げ実家に向かった。

曲がり角にくー子の姿があった。

「そおか・・・くー子は全てお見通しなのか?」

「・・・」

去年と同じ様に小生の後ろに黒猫が従った。

初夏の日差しに照らされ、黒猫の毛並みが一層艶やかに見えた。




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