さよならドビュッシー [最近読んだ本]
クラシック好きにはたまらない推理小説です。
大火傷を負った音楽学校生が奇跡の復活と飛躍を遂げるまでを綴った小説だけに留まらず、現代社会の、現代人の弱さ脆さを鋭く突き、どうあればいいのだろう?と読者に考えさせるあたりが印象的でした。
小説に出てくる曲をちょっと紹介。どれも名曲ですが、小生はアラベスクとエチュード10-3が好み。
アラベスクは目閉じて聴いていると、朝もやが徐々に晴れ行く早朝の森を歩いている気がします。
『邂逅の森』 [最近読んだ本]
秋田の貧しい小作農に生まれた富治は、伝統のマタギを生業とし着々と腕を上げて行くが、地主の一人娘と恋に落ち、村を追われる。
鉱山で働くものの、山と狩猟への思いは断ち切れず再びマタギとして生きる。
520ページに及ぶ大作であるにもかかわらず、読みだすと止まらない、飽きない。
山中の生き物についての描写は今一つだと思うが、人生、人間模様についてはよくもまあこれだけのストーリーを考えついたものだと感心するばかり。また、東北訛はこんなにも人の気持ちを効果的に伝えているんやなぁ、と、胸に来ました。
暇つぶしにはもってこいの小説でした。
邂逅とは偶然の出会いを意味するようですね。
ブックカバーの絵は枝分かれするものの一本太い幹が描いてあります。
主人公が数々の出会いを重ねても、人生の軸となる山への思いが太い幹に込められているように感じる。
この幹の中心部をただ強い色(黒とか)で強調するのではなく、板をくり抜いて立体的に強調してあるところが心を打つ。
表紙絵とても気に入ってます。
タグ:邂逅の森
廃墟に乞う 佐々木譲 [最近読んだ本]
破獄 吉村昭 [最近読んだ本]
「熊嵐」 [最近読んだ本]
1915年、北海道三毛別熊事件(冬眠に失敗したヒグマが開拓村を襲った惨劇)をモチーフにした小説。
襲われた村民や区長と一緒になって「こんな時はどうするんや?次はどしたらエエんや?」、熊打ちの銀四郎、「どうやったらヤツを仕留められる?」などと考えながら一気に読んでしまった。
無論、人肉の味を覚えてしまった野生動物を生かしておくわけにはいかないと思うが、ヒグマのテリトリーに踏み込んだのは人間の方。
ヒグマがあさったゴミ箱の蓋をしながら、「もう、あの子だけは器用にこれを開けちゃうんだから、なんとかしないとね」「あっちに行きなさい!あんたの食べ物はここには無いんだから!」とピストル片手に大声で熊を追い払うアラスカのおばちゃんを思い出した。
タグ:熊嵐 吉村昭
高熱隧道 [最近読んだ本]
黒部第三発電所隧道(トンネル)貫通工事 昭和11年着工、15年完工。
掘削する岩盤はダイナマイト装填限界40℃を徐々に越え、遂には166℃に達する高熱地帯。
頻発する資材運搬中の転落事故やダイナマイト暴発事故、更に越冬工事中、宿舎が泡雪崩に遭うという不運、完工までに犠牲者は300名を越えた。現代であれば初期段階で中止であろうが、当時は軍需工業の電力確保という国命のもとこの工事は強行された。
工事過程についてはほとんどノンフィクションとされている。工事を進めるにつれ次々と起こる難関を克服して行く技師や人夫の努力、心の葛藤、人間模様の描写など文中にぐいぐい引き込まれる。
国策という大義名文は別として、一度始めたら途中で誤りを見つけたとしても最後までやり遂げてしまう人間の本性のようなものも垣間見える。
原子力発電事故の影響を目の当たりにした今、世界でも有数の火山国である日本でもっと地熱を利用しない手はないのでは?と思う。
また、水力や地熱発電では本書のようなリスクやコスト、風力発電では低周波騒音の問題があったり各々発電方法に伴うリスクとコスト、後世に残すべきものか?残すべきでないものか?様々な事柄を踏まえて代替エネルギーを選択して行かなければならないと思う。
漂流 [最近読んだ本]
江戸時代、千石船が遭難、八丈島の遥か沖合い鳥島(無人島)に漂着した水夫らが本土へ生還するまでの長い過程を当時の取調べ書を元に再現された小説。
最終的にこの無人島脱出に成功したのは、
土佐の長平(13年滞在)
大阪の義三郎他8名(10年滞在)
薩摩の栄右衛門他3名(7年滞在)
計14名
水も湧かず穀物も育たない無人島で次々に死んで行く仲間達。
長平は仲間の死からこの島で生きて行く術を学び、一年半を孤独で生き抜く。
やがて同じような遭難者が漂着、助け合いながら島からの脱出を試みる。
この14名が本土生還できたのは、薩摩の遭難者が船を作る大工道具を持っていたことと長平がこの島で粘り強く生き抜く術を身につけていたから成ったことで、どちらが欠けても奇跡の生還は起きなかっただろう。
長平がこの島で生き抜いて行くための物理的行為を考え、行動するあたりがこの小説の核心だと思うが、その行為を支える精神、考え方が心を打つ。
良い本でした。
「天の夕顔」 中河 与一著 [最近読んだ本]
飛騨山之村、有峰、まんざら知らなくも無い土地を背景にした純愛小説ということで読んでみました。
簡単にまとめれば、慎み深いけれど執拗でプラトニックな男女の物語。
純愛という印象より”しつこい!潔いという言葉は知らないのか?”という印象が強かった。
著者が固有名詞にあまりこだわらず、「わたくし」「あの方」という表現に重きを置いたのは、場合によっては貴方方でも起こり得るお話なんですよという読者へのメッセージなのかな?
23年ものプラトニックな恋愛ですか?まー有り得ないことも無いでしょうが、それこそ天の川の一粒でしょうねぇ。それに、一線を越えたらただの不倫小説になっちゃいますからね。
途中、この青年は別な人と結婚生活を送るんですが、この嫁さんがずっと健康だったらどうなっていたんだろう?とか、当人同士がちょこっとでも一緒(正当に)に生活するチャンスがあったらどうなっていただろう?当人同士のモラルや宗教観がもう少し強かったらどうなっていただろう?とか青年のほうが先に亡くなっていたらどうなんだろう?など、いろんなケースを想像してみると面白かった。(意地が悪い?)
有峰周辺はちょこっと出てきますが、この小説の流れからすれば、必ず有峰が背景でなければ成り立たなかったか?というと、そうでもない気がします。
「凍」 沢木耕太郎著 [最近読んだ本]
「港町食堂」奥田英朗 [最近読んだ本]
『ひかりごけ』 武田泰淳著 [最近読んだ本]
『ひかりごけ』 武田泰淳著
人肉食事件をモチーフにした小説なので、その類が苦手な方は読まないほうがよい。
まずこの小説がどこまでが事実で、どこからが著者の意図的な文章なのかを識別するためこの事件について参考文献を読んだ。
それに類似した海外での遭難事件も参考にした。
本文を読む限り、人肉を口にした者は首の後ろに”ひかりごけ”の様な光の輪が灯るシーンが沢山出てくるが、その言い伝えを知っていたのは、死後船長の食糧となった八蔵一人であり、実際に光の輪を見たのは臨終間際の八蔵一人、ということになっている。
著者はそう前置きしていながら、裁判の最中、被告(船長)が検事に「首の後ろの光の輪が見えないのか?」と質問、検事は「そんなものは見えない」と答える。やがて、その光の輪を見ようとした検事、弁護人、裁判官、傍聴人の首の後ろにも光の輪が灯るが、お互い誰も光の輪など見えないと言って、この小説は終わる。
光輪というと一般的には仏教でいう覚者(仏)を意味すると思うのだが、文中でいう光の輪とは生への執着の証と解釈すればいいのか?罪の証と考えるべきなのか?特殊な状況下では罪が罪でなくなる気もするのだが・・・この小説の解釈は難しい。
小生を含め殆どの現代人は食に困った経験無く生きている。その隣にこの船長がひょっこり現れて「俺は仲間の死体を食った悪い人間だ」と告白されたらどうだろう?やっぱりきみが悪いのではなかろうか?「それは特殊状況下の出来事であったから仕方が無いのだ、もう忘れて我々と同じように隣人として生きていこうではないか」と言ってあげる事ができるだろうか?口ではそう言えても、心の隅には彼は・・・というある種の偏見は絶えようが無いのでは?と思う。
また、万一小生が、この事件やアンデスの事件の様な遭難にあったとしても、主人公達のような精神力と行動力は無いように思う。
人肉食事件をモチーフにした小説なので、その類が苦手な方は読まないほうがよい。
まずこの小説がどこまでが事実で、どこからが著者の意図的な文章なのかを識別するためこの事件について参考文献を読んだ。
それに類似した海外での遭難事件も参考にした。
本文を読む限り、人肉を口にした者は首の後ろに”ひかりごけ”の様な光の輪が灯るシーンが沢山出てくるが、その言い伝えを知っていたのは、死後船長の食糧となった八蔵一人であり、実際に光の輪を見たのは臨終間際の八蔵一人、ということになっている。
著者はそう前置きしていながら、裁判の最中、被告(船長)が検事に「首の後ろの光の輪が見えないのか?」と質問、検事は「そんなものは見えない」と答える。やがて、その光の輪を見ようとした検事、弁護人、裁判官、傍聴人の首の後ろにも光の輪が灯るが、お互い誰も光の輪など見えないと言って、この小説は終わる。
光輪というと一般的には仏教でいう覚者(仏)を意味すると思うのだが、文中でいう光の輪とは生への執着の証と解釈すればいいのか?罪の証と考えるべきなのか?特殊な状況下では罪が罪でなくなる気もするのだが・・・この小説の解釈は難しい。
小生を含め殆どの現代人は食に困った経験無く生きている。その隣にこの船長がひょっこり現れて「俺は仲間の死体を食った悪い人間だ」と告白されたらどうだろう?やっぱりきみが悪いのではなかろうか?「それは特殊状況下の出来事であったから仕方が無いのだ、もう忘れて我々と同じように隣人として生きていこうではないか」と言ってあげる事ができるだろうか?口ではそう言えても、心の隅には彼は・・・というある種の偏見は絶えようが無いのでは?と思う。
また、万一小生が、この事件やアンデスの事件の様な遭難にあったとしても、主人公達のような精神力と行動力は無いように思う。
『孤高の人』 新田次郎著 [最近読んだ本]
『孤高の人』 上、下 新田次郎著
昭和初期、冬の北アルプス等を次々と単独で踏破していった”加藤文太郎”の実話に基づいた小説。
八ヶ岳山行で出会った老人の「えれぇこったぁ、ほんとうにえれぇこった」という言葉が読み終えた後でも、心の中に響いている。
また、ビバーグ、携帯食糧や装備の研究、天気の予測等、興味深い話が多い。
山行の度に”何故山に登るのか?””何故人恋しくなるのか?”自問自答し山行の度に答えが変化してくるあたりは、その都度加藤文太郎にインタビューした訳でも無いだろうから、著者の思いだろう。
遭難死に至った北鎌尾根山行については、それまでの加藤文太郎とは思えない無謀な計画、判断が多々有り、どこまでが事実で、どこから著者の作り事か疑ってしまう。
ある程度の信憑性があるとしたら・・・?
昭和初期、冬の北アルプス等を次々と単独で踏破していった”加藤文太郎”の実話に基づいた小説。
八ヶ岳山行で出会った老人の「えれぇこったぁ、ほんとうにえれぇこった」という言葉が読み終えた後でも、心の中に響いている。
また、ビバーグ、携帯食糧や装備の研究、天気の予測等、興味深い話が多い。
山行の度に”何故山に登るのか?””何故人恋しくなるのか?”自問自答し山行の度に答えが変化してくるあたりは、その都度加藤文太郎にインタビューした訳でも無いだろうから、著者の思いだろう。
遭難死に至った北鎌尾根山行については、それまでの加藤文太郎とは思えない無謀な計画、判断が多々有り、どこまでが事実で、どこから著者の作り事か疑ってしまう。
ある程度の信憑性があるとしたら・・・?
『オーパ、オーパ!!』 開高健 [最近読んだ本]
最近読んだ本という訳では無いが、開高健の小説は定期的にごそごそ引っ張り出し、読み返したくなる。
『野外へ行くこと、釣りに行くことが、手垢まみれの慣用句でいう”狂気の文明からの偉大な逃走”であるならば、そして事実その通りなのだが、狂気の混沌から逃げ出したつもりがここでふたたびもっと露骨な狂気の沸騰に出会うこととなるのである。これはもうどうしようもない現代の特質なのであって、”狂気からの逃走”という観念そのものが、甘チャンの、ボクチャンの、発作的感傷にすぎないものであることを徹底的に知覚させられるわけである。』
文中より特に気に入っている部分を抜粋した。何回読んでも名文だ。
オーパ、オーパ!!〈アラスカ至上篇 コスタリカ篇〉 (集英社文庫)
- 作者: 開高 健
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1990/12
- メディア: 文庫
『野外へ行くこと、釣りに行くことが、手垢まみれの慣用句でいう”狂気の文明からの偉大な逃走”であるならば、そして事実その通りなのだが、狂気の混沌から逃げ出したつもりがここでふたたびもっと露骨な狂気の沸騰に出会うこととなるのである。これはもうどうしようもない現代の特質なのであって、”狂気からの逃走”という観念そのものが、甘チャンの、ボクチャンの、発作的感傷にすぎないものであることを徹底的に知覚させられるわけである。』
文中より特に気に入っている部分を抜粋した。何回読んでも名文だ。
『アラスカ物語』 [最近読んだ本]
秘蔵書 [最近読んだ本]
随分前に買った本なので最近読んだ本という部類ではないけれど、2,3年絵をやっていて迷いが生じた場合にお勧めの本です。
特に序文は日本画、洋画などの枠に関係なく絵を描く人には大変参考になると思いますが、強烈なパンチを食らいたく無い人は読まない方がいいかも?
今でも2,3ヶ月に一回は引っ張り出してきて序文を読み返しています。
ほとんどのプロの画家が言わない事を著者は歯に衣着せぬスカッとした文で書いてある。
尊敬する人物の一人です。
追伸(たわごと)「〇〇先生の教室に通ってますが思うように上達しません、できれば××先生の講習を受けてみたいです」と無神経なWeb書き込みをする輩には読んでも理解できんと思う。
マークストランド「犬の人生」から「真実の愛」 [最近読んだ本]
「真実の愛」というタイトルからどんな内容が書かれているのか?かなり期待して読んだ。
読み終わってみたらなんの感動も無く、見落としが無いかもう一度読んでみた。男女の出会い初期の心模様が描写されているにはいるが、それもそう上手い表現とも思えず、どう読んでもただ気が多くて飽き性な男の徒然であった。
だいたいの小説は最初つまらんと思っても、読んでいるうちに唸らされる部分というのが出てくるのだが、これに関しては何もなく終わってしまった。
君は何を期待して読んだのだ?と逆に問われているようにも感じる。
短編といえど、こんなに つまらん小説は初めて読んだ。
タグ:本
最近読んだ本「素描作品の愉しみ方」 [最近読んだ本]
マーク ストランド短編集「犬の人生」から「更なる人生を」 [最近読んだ本]
- 作者: マーク ストランド
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/11
- メディア: 文庫
「更なる人生を」
三冊目の本を書こうとするが書けない焦燥のまま死んでいった父親への想い。草原の蝿や乗っていた馬、あるいは恋人に父親の再来を錯覚する筆者。それほどまでに父の焦燥というものは子にとって印象深いものだろうか?五木寛之も子供の頃目にした父親の焦燥や嘆きについて書いていた。
10年何も書かないで暮らせる小説家がほんとに居るのか疑問だが、メインの広々した空間や蝿の飛び回る描写は好きだな。
ウォーミングアップ1.5キロ 10.0キロ 52分30秒 クールダウン1.5キロ
最近読んだ本「イニュニック」 [最近読んだ本]
先ほどオオカミに追われ命を落としそうになったカリブーが、もう何事もなかったかのようにのんびり草を食べている。(読んでいて印象に残った文)
「生命」について著者が何を表わしたかったか?なんて考え出すときりが無いので、あまり深読みせずにアラスカ原野のルポとして読んだほうが楽しい。
余談だが著者がクリンギット・インディアンのルーツを辿り、カナダのクィーンシャーロット群島を訪れているのだが、僕も一度クィーンシャーロット最北端の島を訪ねた事がある。おそらく太古から変わっていないであろう景色に包まれて過ごした数日は貴重な体験だった。